うきうき日記

本命 今井翼と西川貴教と堂本光一なゆきこがタキツバと今井翼関連しばりで書いている繰り言の垂れ流し

そしてまた相変わらずの、9月と滝沢秀明について。

私はまだ2年ほしかった。
しかし、タキツバファンの視点から見ると、今というのは物語的に非常に綺麗である。
昨年9月に解散でひと悶着あり、年末にかけてのドタバタ、そして年末引退からの子会社社長就任。そこから半年を経過して、カリスマ社長の死。
なんであれがああだったのかとぐちゃぐちゃ思い悩むが、物語性としてはタイミングばっちりだ。
滝沢秀明及びタキツバに焦点を据えて物語を切り取ると、先輩方の解散劇を前座として(主人公をタキツバに据えているからですよあくまで)始まり、1/27嵐休止宣言で終わる。と思いきや、完全にタイミングが第二章だ。
タキツバの物語は完全にジャニー社長にリンクしている。
やっぱり滝沢秀明は主人公だ。今井翼は現時点、ファムファタル的ヒロインを地で行っている。
物語としてあまりに完璧なので、どこからシナリオが書かれていたのかとやっぱり疑いたくなる。

ファンではない人間は、2017活動休止と2018解散は同一事象だと思っているだろう、と私は考えている。
でも私は別事象だと思っている。
何故か。
1年も前から既定路線だったなら、2018年9月がお粗末過ぎるからだ。
もし1年もの準備期間があってあんな惨状を提示したのなら、私達タキツバファンを完全に舐めきっていて、それを白日に晒すことを躊躇うことさえなかったってことだ。
あの9月は、私はよっぽど時間がなく、彼等自身の精神面を整える暇もなく、冷静さを欠いたままで行わざるを得なかった、当事者としても悔いの生じる出し方をせざるを得なかった、痛い痛い生々しいものだと思っている。
出したものは消えない。
退所後の人間なのにジャニーズの番組に出演し、コンサートの舞台に上がった社史的快挙。それはその後のことだ。
時間的制約の中で彼らにしても不本意な形で私達の反応を若干、いや多いに甘く見積もって(それもそのように見ないとどうしようもない状況で)とにかくもう、最低限だけでやったのが9月だ。
その解釈は、そこまでの彼らに対する信頼でもある。
彼らがあんなにお粗末に過ぎる最期だったのは、そうせざるを得ない状況だったのだ。
もし、1年も時間があったなら、エンタメに関わる人間として、とくに芸能事務所の社長だなんて、適正を疑う、というよりアウトだろ。
社長の死因がこれで、実はガンでした、だったら解釈は影響を受ける。
2017に余命宣告を受けていて、そこで滝沢後継路線がほぼ決まり、それを受けてのユニ解散に向けた段階としての休止。
再発前の退所予定のない翼から、ユニットの印象を緩和するためにケンタキ。成立する。
でも実際は、社長の死因は突発的なもの。
高齢だからそろそろ、以上の要素は特段浮かばない。
この点において私は彼らに失望しなくていい。
後継に内定したが故の休止だとしたら、その後の滝ちゃんが暗すぎるんだよねファンから言わせると。
滝沢秀明は元からプロデュース業に関心があり、タレント業に執着は薄かった。
それはファンでも共通認識だと思っている。
だからジャニー社長の後継は当人も望むところの大抜擢である。
社長後継が本人の意に反したものではない。にも関わらず暗い。
とにかく、滝沢秀明が暗い。
だから、休止以降の流れが滝沢秀明主導のものに見えないのだ。
単に印象だけではない。
滝沢秀明は、「タキツバの活動休止で落ち込んだ」という言質を出している。
活動休止というネガティブワードだからこそ、当事者のポジティブさは必須ではないか?
なのに落ち込んだと言った。
あまり冷静とは言えない。その意図はなんだ。
翼は休止にネガティブなコメントなどしていない。
滝ちゃんとは活動分野が違うから、そういう場もなかったとも言えるが。
少なくとも、休止発表後、ラジオで滝沢の名前を出し最近のかわいいエピソードを報告してくれた。
休止で落ち込みましたなどと言う人と、スタンスは違う。
ファンでない人は、解散劇は滝沢後継に向けた一連の動きに見えるだろう。だけどファンである私には、翼主導のものに見える。
でも翼に去られた滝ちゃんが、次善の道に進んだにしては話がデカすぎる。
で、物語を通せず混乱する。
滝沢後継は既定路線だけど滝ちゃんだけが踏み切れなくて、翼も含めた周囲が滝沢がその気になるようなんとか誘導したっていうなら、翼に悪役要素やらせることになるし、滝ちゃんちょっとかっこ悪いけどな。

今回の訃報にかかるものも含め、私はジャニーズの絡むテレビは見ていない。
ネットニュースの遺影を持ち助手席に座る滝沢秀明の写真で、久し振りに滝ちゃん見たと思った。
この人の隣から翼が既にいなくなっていて、父と慕った社長がいなくなったのだなと思った。
例の二年半を知っているファンは、滝ちゃんにとって今井翼がどれほどのものか、知っている。
孤高のこの人にとって、ただ一人の、同等の存在だ。(そして今井翼にとっては、そうではない。)
父とは必ず別離のときが来る。
決して一人ではないはずのこの人が、どうしても孤独な、涙も流せず淋しさを持病のように抱えて子どものように立っている、そんな印象を抱かせる。
それがいっそ、ただの印象操作であればいいと思う。