うきうき日記

本命 今井翼と西川貴教と堂本光一なゆきこがタキツバと今井翼関連しばりで書いている繰り言の垂れ流し

つか、優馬くんがいてふぉーゆー(うち3人)がいてトラジャ(うち3人)がいるEndless SHOCKってタキツバファン的にヘビーじゃない?

今年のショック梅芸2回目、見てきました。
オープニングで既に涙腺緩む。
NEW HORIZON号泣。
余波で千秋楽の楽屋シーンも号泣。
いやぁ……私は舞台っちゅうもんは別に泣きたきゃ泣いていい空間だと思ってるので、抑えようとは特にしていません。
舞台なんて感情動いてなんぼなんで、ある意味お得に鑑賞できてる気はする。
大筋ともズレてない泣き方だと思うし、悪くないよな……。
逆に言うと、今、このテーマで私から反感を引き出さない作品は、他にない。
もともと光一さんが好きで、作品に対する信頼があって、なおかつタキツバふたりより上の人だと認識していて等々の私を納得させる個人的経緯がある。
簡単な話、まったく同じ内容とクオリティを提供できたとしても、後輩が座長であれば、胸にドロッドロしたものが渦巻いてとてもじゃないがまともに見れない。
妬ましくて呪詛しか湧いてこないだろう。
光一さんだから、私は尊いと言える。

光一さん(や貴教)は、キ印の変人だと思っている。
そしてそれは芸能人として非常に恵まれた特質だと思っている。
タキツバは常識人だよなー。ふたりとも。
ショックは光一さんのキ印に振り切れっぷりを追求し、キワモノコウイチを、舞台とは?生きるとは?という普遍性をもつ哲学的テーマにまで進化させた化物舞台という認識。
今までも、立ち止まったら切り捨てられる厳しい世界観は認識して見ていたけど、あくまで背景だった。
私は光一さんファンだから。
光一さんを通して辞めていった町田さんや米花さんを見ていた。
今は違うんだよねー。
「去っていった者たち」の側に翼がいて、オーナーの語りにその場にいない滝ちゃんを思う。
「みんながいるから走ることができた」と語るコウイチに、「みんな」はいるのにやめちゃった滝ちゃんって何なんだろうと思う。
何度でも言うけどね、解散退所引退劇をおかしくしてるのは滝ちゃんなんだよ。
なんでそんなに暗いかなー。
2018.9月の滝沢秀明は失意の底にあった。
なんでかなー。
あのときの滝ちゃんが明るく力強い空気を放っていたら、こじれる必要のない物語なんだけどなー。
ショックの物語的には「翼がいないなら走る意味がない」でやめちゃう人なんてお話にならない。
ショックの前提は「誰もがきらめくネオンサインの仲間入りをしたいと思っている」。
コウイチはさらにそこを突き抜けて「あの星に手を伸ばし捕まえるその日」まで走り続けるって言ってることが特異性なんだけど、滝ちゃんこの前提にいないんだもんな。
コウイチのセリフいちいちが、あー滝ちゃんだったら言わねーだろなと思う。
コウイチ役に要求される華って途方もないレベル。
たとえ技術的には同等以上をできたとしても、華がないと物語が説得力を持たない。
コウイチ役が、堂本光一級の華を持つ人間にしか成立させられない舞台だということは、光一ファンの欲目ではなく理解を得られると思っている。
貪欲さを持たずに光一さん級の華を持つことなんてあり得るか。
ところが滝様である。
滝沢秀明の華は十分、堂本光一と張ってるだろ?
なのに何であの人は我欲が見えないんだ。
あんなに華があるのに、なんでこのセリフが似合わないのか、なんでかなーなんでかなーと、いっちいち思考が付きまとう。
滝沢歌舞伎は大して好きなわけではなかった。
あれはカタログ的だなと。
私は俺を俺を俺だけを何をおいてもひたすら俺を見ろと迫るSHOCKの座長堂本光一が好きな感性の持ち主なのだ。
そういう滝沢秀明を見たかった。
殺されたら化けて出るような、滝沢秀明

ソリタリのセンターで踊る翼が見たい。
は毎回思っているんだけど、今回はほとんど全てに対して思った。
特に夢幻と夜の海。
翼に対する感情はそんなにこじれていない。
ただ、本気で踊る様を夢想するだけだ。
あと、ジャパネスクで光一さんと切り結ぶ滝様を見たい、と割と高い頻度で思う。
そういう死に物狂いでギリギリで命燃やすみたいな滝様を見たい願望なんだろうな。