うきうき日記

本命 今井翼と西川貴教と堂本光一なゆきこがタキツバと今井翼関連しばりで書いている繰り言の垂れ流し

オタク自己認識について

フラメンコもオタクの世界なので中にいると自分ごときがオタクを自称するにはためらいますが世の中の平均値からすると立派にフラメンコオタク認定されるであろう自覚はあるゆきこです。
基本的に「オタクと言わざるを得ないがオタクの中では超ライト」という自己認識をどのジャンルに対しても持ちがちです。
自分にガチオタク認識がないのは、情報欲が低いからです。
オタクを定義付ける最重要項目は、対象に対する飽くなき興味だと思うのですが、私はここが薄い。
一方で、同じライブ複数回通うという行動様式はそれだけで十二分に、客観的にオタクの要件を備えているだろう。
よって、「オタクはオタクだが、オタクの中ではライト」という自己認識に帰結する。
なんつーか、私が好きなのは「実在の今井翼という人物が提供するコンテンツを元に私の中で文脈を付与し再構成された非実在の今井さん」で、今井さんを見ているようで実は自分(の作り出した像)を見ている。
別に誰だってそうだろうが(芸能人に限らず、そのようにしてしか人は他者を認識する術がない)比率の問題で、私はその意識が強く、だからネタ供給が少なくてもけっこう生きていける。
うちの姉とはこれまでほぼほぼ似たようなものにハマって生きてきたのですが、ここタイプの違いが表れるところで、二人してヒカルの碁のアキラくんに当時ハマっていたんですが
佐為が消えてヒカルが道に迷っていた間、半年ぐらいアキラくんが出てこなかったんですよ。
で、姉は出てこないとイライラして不満言ってたんですけど、出てきたら(好みの展開ではなくても)まぁいいやと落ち着くんですね。
で、私は出てこない間は(やせ我慢ではあっても)不満を言うのは違うと思ってるんですが、出てきたら、その展開については怒る。
二人で怒るポイントが違って、私の方が「私の思う〇〇」が強い傾向にあるんだと思う。
不在の間は「私の思う〜」との乖離が生じないけど、実際に登場して乖離が顕在化したときに怒るという。
最終的にはヒカルの碁第一部は名作なのでぜひ読んでください。
第二部は、第一部がきっちり終わっているのであってもいいって感じです。
越智くんの描き方とか、関西弁キャラが意外に我が強くないバランスとかおもしろいですが、コヨンハのまつげがヤケクソにバサバサしてる感じとか、なんか書くべき物語は書いたあとでどう書くか、みたいな模索に見えます。
要するに、ゴエモンもおしゃ子もジャストナウに感想出力できない精神構造してるってことで、今後も即時性のある感想はたぶん書かないだろうってことです。
でもゴヤについては語りたいんだが。
なお、ベートーベンの手紙はスルーしました。
配信あるもんだと思ってたら、2日前ぐらいに見たらなかった。おおっとぉ。
しかしリーディングコンサートってなんなのだ。
朗読劇?と思ったんだけどあってる?
朗読劇に足を運ぶほどの情熱はわかないなぁ…と思っちゃった。すんません。
FODはおばちゃん難しそうでわかってないですが……あぷりをだうんろーどしたらいいのん?