うきうき日記

本命 今井翼と西川貴教と堂本光一なゆきこがタキツバと今井翼関連しばりで書いている繰り言の垂れ流し

年明け後の自分の現状と見解と予定について。

一日、カウコン終わりで飲んだあと(安酒熱燗がとっても似合う)終夜運転の電車乗換は最寄り駅までは待つ感じで、徒歩20分強なので歩いた。
深夜に声あげて泣きながら歩くいい歳した女。
いやー、正月っぽいね。非日常感満載だ。
年賀状がキンキさんからだけ来ていて、……すいません微かに期待していたので微かに悲しかった。
ウェブの削除が手回しよくて、滝連最終回をみなさまちゃんと見れたか心配になりました。
特別サイトとやらはまだ見に行ってません。
カウコン、録画を見なければと思うも、途中でしんどくなって、登場前に中断。
でも早めに見ようと思います。
会場では文句言ったらバチが当たるアリーナだったんですが、私、身長低いので、とにかく視界に入れるだけで必死でした。
1回踊る五関くんが近くてそれは嬉しかった。
皆様の見立てでは今井さん体調不良を無理してる説が主流のようで。
どうなんだろう。休んで回復する程度でありますように。
その程度で治まるならば前提ですが、無理してると見てとれるがパフォーマンスはできている、というのは興行的にはベストではないでしょうか。
病気療養理由なのに今井翼ぜんぜん元気じゃんねってなるのもまずいし、もちろんまったくもう立ってるだけで無理でも困る。
「無理して立つ」
が一番、絵的にいい。
私、「翼の病気を前面に出しすぎて悪意を感じる」って意見がよくわからないのですが、むしろ足りないと思うのですが(けっきょく引退興業やったからいいんですけど)、これから療養専念で年単位引っ込む人が今、元気そうに見える方がまずくないのと思うんですけど。
それとも意外と皆様、せいぜい引っ込んでるの1年程度だという見立てなんですかね。

これでジャニーズはひとつ、葬式の出し方を学習したでしょうか。
偉大なる先輩方を直葬の上、無縁墓に葬るようなやり方はいかにもまずかった。
次がないなんて、そんなことはあり得ないので、ノウハウは持っとくべき。
願わくば、葬式じゃなくて、卒業式になっていますように。
葬式に見えるのはファンだけって?
でも正直みんな、喪失を悼む表情に見えるんだけど。
会場では、スクリーンに映る、滝沢秀明の地位を示すタイトル見て何度もため息。
カウコン記事出たとき「滝沢は自分が言えば通ると判断の上、直訴」って、通るよ!!!
遅いよ!遅いんだよ全部!!!
お前、5年以上前からいろいろ直訴しとけよ!
隣の人の顔色ばっかり伺ってんじゃねぇよ!

とりあえず私の現状と今後の予定。
タキツバは結局、TRIP & TREASUREおよびTWOの2枚から聞けるものは増えていない。
しかしタキツバより致命傷はキンキの方で、タキツバアルバム全曲聞けるようになった後だわ。
キンキキッズファンは名乗れない。
キンキのシングルは買っていない。
タイトルがまず無理すぎる。
なんだよそのこちらの心情そのままのタイトル。
シングル発売発表されたら、それまでだいぶ落ち着いていたのが10秒で即泣ける豆腐メンタルに逆戻り。
シングルを買うかどうするかと意識に上らせるだけで涙出てくるのでこりゃ無理だと3日で決めた。
光一さんもおっしゃるように、似てる。
でもすごく違う。
それが面白味なんだけど、それをおいしくいただくにはメンタルへの負荷が耐えられない。
思えば、例の2年半以降、すでにキンキを素直に楽しめなくなっていたんだから、無理だ。
2017の素晴らしいアコースティックライブに参加できたことを喜ぼう。
1年ずれたら、もう無理だった。
堂本光一ファンをやめる必要はない。
ショックには行くのでキンキFCは継続する。
My favorite artistは変えないで、1月いっぱいで退会する。
(未練たらたら、誰か何か触れてくれるかチェックするため)(つーか、誰かって、ふぉーゆーのことだけど)
とりあえず1年は様子を見る。
快復したら改めて光一ファンで登録すればいい。
ぶんぶぶーんは見続けたらいい。
エビは、私のエビへの関心の基盤は、タキツバの直系息子たちだから、
えびちゃんずーはオセロー降板メールが来た5月からずっと、録画したままたまってる。
年末年始で解除した毎週録画を復活しても、やっぱり見れない気がするので、やめる。

盛大な葬式のあとで、結局、私が痛んで泣いているのは、
解散・引退という私の喪失ではなく、
破局という彼の喪失なんだとブログ初日に戻る。
ファン、めんどくさい。
そんな痛み、一人で痛ませてやれってね。
そもそも本当に、彼が痛みを抱えているのかなんて、実のところわからないんだしね。
解散・引退についてはさ、ぶーぶー文句言って言い続けたらいいんだけどさ。
破局は、……そっとしてやれよね。
それでも葬式準備に奔走することで、滝様も、少なくともまともに言及できるまでになったのだ。
葬式は正に、生きていく者のためにある。

かと言って、9月の惨状は事実として消えるものではない。

体裁を取り繕うこともままならない、物凄く、痛みを伴う解散だったことをさらけ出した事実は覆らず、エビ、ふぉーゆー始め彼らの子どもたちを、私はやっぱり当分無理だ。
ケンタキも無理だ。
滝沢歌舞伎2018もすごく良席ですごく楽しかったけど、やっぱり買えない。無理だ。

翼について、「ジャニーズの今井翼」を閉じて第二章が始まった、あるいは始まる、と表現している方をけっこう見るが、生憎、私の説ではそれこそまだ先である。
今までブログでネガティブな説をねちっこく書いてきたが、正直……カウンセリングとか心療内科とかレベルだと思っている。
翼の方は、葬式じゃどうにもならん。
時間がかかる。
「ジャニーズの今井翼」を閉じるのは、その心理的なものを自覚し受け入れ言葉に起こしてデトックスした先だと思う。
少なくとも、自分がかけた迷惑が、過剰ではなかったと染み込ませるまで。